MIND CORE 代表


スポーツメンタルコーチ

喜納 将克 きな まさかつ

 

出身:沖縄県  

趣味:読書・スポーツ

   子供と遊ぶ(2児のパパ)

好きなもの:コーヒー 

 

資格

JADPスポーツメンタルトレーナー

ポジティブ心理学実践インストラクター®︎

 

静岡県浜松市で、スポーツ心理学とNLP(神経言語プログラミング)を軸に自己成長を促すスポーツメンタルコーチングを行なっています。

海外フルマラソンに挑戦する社会人の方や、サッカーの小学生から中学生などの夢や目標を叶えるサポートをしています。コーチングを受けた方からは、「自分で気づいていないところが見えるようになった」「自分の目標に対する考え方が明確になり、より強い目標に変わった」との声をいただいている。

 



スポーツメンタルコーチの喜納将克です。

 

私のプロフィールをご紹介させて頂きます。お読みいただけると嬉しいです。

  

元々、私は理学療法士として病院でリハビリの仕事をしていました。

 

その後、パーソナルトレーナーに転職し、現在はパーソナルトレーナーとして働きながら、

 

MIND COREパーソナルコーチングを立ち上げ、スポーツメンタルコーチの活動をしています。

 

 身体をみるプロだった私が、スポーツメンタルコーチにたどり着いた過去をご紹介させて頂きます。

 

沖縄での幼少期



私は、沖縄県沖縄市で生まれました。

 

住んでいた街は、住宅街とさとうきび畑が広がるのどかな街でした。

 

 

近くに祖母や親戚も住んでいて、

 

家族と親戚の深い愛情の中で育ち、活発で明るい子どもでした。

 

運動神経は良い方で、スポーツは何でも得意でした。

 

 

 

父親は、野球をやっていたので、僕に野球をやらせたかったのですが、

 

小学校1年生の頃に、

 

友達に勧められて始めたサッカーの方が僕には合っていたようで、

 

結局、小学校から高校まで、サッカーを続けました。

 

サッカー以外にも、水泳と空手を習っていました。

 

 

特に、空手は沖縄発祥の武道でもあり、

 

「人に優しく、自分に厳しく」

 

という空手の教えは、

 

僕の人格を作る核となっていました。

 

 

また沖縄は戦争という暗い歴史があり、米軍基地も身近にあることから、

 

小さな頃から命の大切さについて学ぶ機会が多くありました。

 

「命には限りがあり、人生をよりよく生きる」

 

そんな感覚は、言葉にできなくても肌感覚として持っていて、

 

スポーツメンタルコーチになろうと思ったきっかけの一つになっています。

 

 

 


プロサッカー選手を目指す学生時代


サッカーとの出会いは、小学1年生の頃に友達に勧められて始めましたが、小学2年生の頃には、新居に引越すため隣町の小学校に転校することになりました。

 

 

転校した小学校にはサッカー部がなく、小学5年生の頃にはじめてサッカー部ができました。指導してくれた先生は、野球部出身でサッカーを教えた経験もない弱小チームでしたが、私は再びサッカーができる喜びであふれていました。

 

 

僕が小学5年生の頃は、日本ではJリーグが開幕し、TVでキャプテン翼が爆発的な人気を誇っていて、サッカー人気が高まっていました。

 

そんな時、1994年アメリカW杯決勝ブラジル VS イタリアの試合を偶然TVで見ていました。それまで、Jリーグの試合を一度も全部見たことがなかった僕が、世界最高峰のサッカーを見たとき、圧倒され唾を飲みました。

 

 

レベルが高い上に、W杯史上初の決勝PK戦にまでもつれる接戦。選手たちも満身創痍の状態でした。

 

 PK戦で最後のキッカーは、イタリアの至宝

 

10番 ロベルト・バッジョ選手。

 

ボールを蹴った瞬間、ボールは、ゴールの遥か彼方上に外れていきました。

 

その瞬間、僕の中で衝撃が走りました。

 

 

サッカーというものに、自分の人生の全てをかけて、全力を出し切っている大人達がいることに感動し、衝撃を受けたのです。

 

 

私は、これまでサッカーを本気でやった事がない自分が恥ずかしくなり、それと同時にワクワクしました。

 

 

俺もまだまだやれるぞと。

 

絶対プロサッカー選手になってやると決心しました。

 

 

それから、自分の中でサッカーに対する姿勢が全て変わってしまいました。遊びであろうが、体育の授業であろうが、真剣にサッカーをしていました。周りの同級生と気持ちの温度差がありすぎて、友達にキツく当たってしまうこともあり、嫌われたこともありました。

 

 

小学1年生の頃サッカーをやっていた事と、元々運動神経は良かったので、小・中学生はレギュラーとして出場し、エースナンバー10番をつけて活躍しました。

 

しかし、中学校も弱小チームで優勝などの目立った実績は残せませんでした。

 

 

それでも、私の気持ちは変わらず、自分だけでも結果を残して、プロになるという決心は変わりませんでした。学校から帰ったら、毎日夜遅くまでボールを蹴って個人技の練習をしました。

 

 

 

高校進学を決める際、何とか実績を残して、プロにつなげたいと考え、沖縄県で全国高校サッカー選手権の常連校である那覇西高校に進学したいと、親に直談判しました。しかし、受け入れてもらえず、近くの公立高校に進学することになりました。

 

 

何とか自分の人生を動かしたいと必死だった僕は、

 

高校1年生の夏休みに3週間ブラジル留学をすることを必死に頼みました。

 

サッカーの本場ブラジルに行けば、自分の夢に近づけると思ったんです。

 

 

 

3週間のブラジル留学は、僕にとっては、毎日が新鮮で挑戦の日々。

 

プロサッカー選手という夢を追いかけている最高の時間でした。

 

・言葉が通じない中で、工夫してコミュニケーションをとる

 

・仲間に入れてもらう為に、自分から積極的に動く

 

・認めてもらう為に練習で結果を出す

 

・環境が人を変えるのではなく、人が環境を変えていく

 

 

 

留学という経験から色々な事を学び、貪欲にブラジルサッカーを吸収していました。

 

そして、帰国後はレギュラーとして実績を残し、必ずプロになると将来活躍している自分のイメージを膨らませていきました。

 

 

しかし、現実は全く違いました。

 

現実は、1年生はボール拾いで練習にすら参加させてもらえませんでした。

 

 

帰国後に、練習でアピールしてレギュラーになると意気込んでいた私の計画は絵にかいた餅でした。また、同じポジションにはサッカーが上手く口の悪い先輩がいて、ミスをすると「下手くそ!サッカーやめれば?」とよく罵倒されていました。

 

 

そして、同級生では1年生から練習に参加し、レギュラーとして定着している選手もいて、レギュラーとして定着している彼と自分を比較しては、自分に足りないところを探し、それを埋めるように必死で練習していました。

 

 

そんな現実を変えたくて、ポジティブシンキングも取り入れていきました。

 

良かったプレーだけを覚えていて、悪いプレーは忘れること。良かったプレーを思い出し、良いプレーをしている自分をイメージトレーニングで繰り返しイメージしていました。

 

 

結局、私は高校3年間でレギュラーとして公式戦に出場することはできませんでした。

 

インターハイの沖縄県予選でチームが負けた時、僕の心はボロボロでした。

 

「俺の人生大したことないな。」

 

「所詮、夢なんか叶わない」

 

夢だったプロサッカー選手の道を諦めなくてはいけない。

 

自信を完全に失い、自分の人生にも希望を失いました。

 

 

その後、理学療法士として、医療の道に進みますが、

 

失った自信を取り戻すために必死な時期でした。


理学療法士からパーソナルトレーナーを経て、その先へ・・・


私は、静岡県で理学療法士となり病院で働きますが、ボロボロになった心と失った自信を取り戻す為に、必死に実績を追い求めていました。

 

 

社会人で大学院に行き、学会や論文で実績を作り、他人から凄いねと認められる為に、必死で頑張っていました。

 

 

人とは違う理学療法士になり、人に認められたい。

 

 

他人がどう見ても凄いと思う実績と結果を残さなければ、自分の存在価値がないと思い込んでいました。

 

 

その後、ご縁があって、パーソナルトレーナーに転職し、その考えが180度覆されます。病院では通用した事が通用せず、積み上げた実績も評価されない。全く経験のないことを1から覚えなくてはいけない。

 

同僚からは毎日のように出来ないことを責められる。

 

2度目の挫折でした。

 

 

 

自分をまた信じられなくなりました。

 

何をやっても上手くいかず、

 

同じ失敗ばかりを繰り返し、

 

成長している実感もなく、

 

「俺の人生大したことないな」

 

高校生の時に感じた無力感を再び味わいました。

 

自分のできていない事ばかり考えていました。

 

 

そんな時、1冊のコーチングの本に出会い救われました。

 

『自分への質問の質が、人生の質を決める』

 

どんな結果であっても

 

自分へどんな問いかけをするかで、

 

導き出す答えが全く違ってくるという事実を知ったんです。

 

 

私は、

 

「プロサッカー選手の夢を諦めた私」

 

「他人と比べて、できていない事が多い私」

 

「転職して2度目の大きな挫折を経験している私」

 

 

そんな失敗した自分を認める事ができませんでした。

 

失敗や挫折をしない人生が成功だと思っていました。

 

だから、「俺の人生大した事ないな」と思っていたんです。

 

 

でも、その考え方は間違っている事に気づいたのです。

 

 

失敗や挫折を経験していない人はいない。

 

それをどう活かしていくかで全く別の人生になる。その為には、

 

自分への質問を変え、思考プロセスを変える必要がある!

 

コーチングを学び、自分への質問を変えた事で、徐々に失敗や挫折した自分を肯定できるようになり、失敗を次に生かせるようになりました。

 

 

そして、コーチングの考え方を、クライアントさん達に伝える事で、クライアントさん達が次々に夢を叶えるようになっていきました。

 

 

・社会人バスケの交流試合で、海外遠征メンバーに選ばれた

 

・膝の手術を乗り越え、ママさんバレーの全国大会に出場した

 

・膝の痛み・足の筋力がなくて諦めていた屋久島の山に登れた

 

・股関節を手術しなきゃいけない人が富士山に登った

 

・全く走った事がない人が、フルマラソンを完走した

 

・ゴルフの大会で自己ベストのスコアで優勝した  etc•••

 

 

その他にもたくさんの人達が、

 

諦めていた夢や目標を叶えていきました。

 

 

それで確信したんです。

 

人は夢を追いかけている時が、一番輝くし、一番力を発揮する。

 

 

私が夢を追いかけて全力で取り組んでいた過去は、他の誰かの役に立てるかも。と思いました。

 

 

夢に全力で取り組んでいる人達、

 

夢を諦めたくても、諦めきれない人達

 

今、夢に向かっている子供達。

 

 

そんな人達が相談できる場所、夢を叶えるヒントをくれる場所があったらいいなと思い、MIND COREパーソナルコーチングを立ち上げました。

 

 

そして今、私には夢があります。

 

それは大人になっても夢を叶えている人を増やす事。

 

夢を叶えた大人達をみて、子供達が夢を叶える事を目指す事。

 

大人達が子供達に「自分が一番好きな事を一生懸命やりなさい。人生楽しいよ」心から言えている社会を作る事です。

 

 

だから私は、スポーツメンタルコーチングを通じて、皆さんと一緒に夢を叶えていきたいと思います。

 

 

長い文章でしたが最後までお読みいただき感謝しています。